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出雲大社お参り順序 参道編 〜出雲大社おでかけ記

縁結びの神様、出雲大社のお参りの順序です。

@ 出雲大社の駐車場のある西側や、歴史博物館側からも入れますが、せっかく出雲大社へお参りをするのでしたら、正門の鳥居をくぐってお参りをしましょう。
出雲大社の鳥居

A 鳥居をくぐると下り坂があります。ご参拝ガイドによりますと、下り坂になっている参道というのはめったありません!と記されています。言われてみれば鳥居をくぐって、下り坂になっているところと言うのは記憶にないです。
下ったところに「祓橋(はらえのはし)」があり、そこから松の参道へとつながります。
松の参道入り口に「松の参道の鳥居」があります。

出雲大社 松の参道の鳥居

B松の参道を散策しながら進んで行くと、社殿が立ち並ぶ「荒垣」の入り口へとつながります。松の参道も終わりに近づくと右側に「ムスビの御神像」が見えてきます。大国主命が海神から「幸魂奇魂(さちみたまくしみたま)」を授かった神話の場面を再現しているそうです。参拝に来ているみなさん、写真をパチパチ撮ってますから、スグに分かります。



C 続いて参道の左側に、因幡の白ウサギのお話で有名な神話の場面を再現した「御慈愛の御神像」があります。ご参拝ガイドには「大国主命が背負われている袋には、私たちの苦難や悩みが入っていて、大国主命が私たちの代わりに背負っておられる」と記されています。



D 手水舎で両手と口を清めます。お作法としまして、ひしゃくで左手、右手の順に清めます。次にひしゃくから左手に水を受けて、口に含み、口をすすいで清めます。最後に残った水を、ひしゃくを立てて柄の部分に流して、次の人のために清めて置きます。
手水舎で清め終えたら、いよいよ社殿へ向かいます。銅の鳥居をくぐり「御仮殿(おかりでん)」へ向かいます。ところでこの銅の鳥居ですが、もとは毛利輝元によって出雲大社へ寄進されたものだそうです。



その後、損傷部分が多くなったので1667年に、毛利輝元の孫にあたる毛利綱広により、現在の鳥居に造り直し再建されました。銅製の鳥居としては最古の鳥居だそうです。
余談ですが、銅の鳥居を近くでみると、みなさんが触るので色が変わっています。これは、銅の鳥居を触ると金運がついて、お金に不自由をしなくなると言われているから、参拝されるみなさんが触るからだそうです。


出雲大社お参り順序 境内編 〜出雲大社おでかけ記

銅の鳥居をくぐるといよいよ境内です。正面に出雲大社の御仮殿(おかりでん)が出迎えてくれています。現在は平成の大遷宮のため、御祭神の大国主命はここにいらっしゃいます。



出雲大社御仮殿、昭和34年に出雲大社の拝殿として再建されたものだそうですが、平成25年5月までは大国主命の仮のお住まいとなっています。
ご存知の方も多いと思いますが、注連縄の向きが普通の神社とは違って、逆の左から巻き始められています。
お祈りは、二礼四拍手一礼です。手を合わせてご自分の住所と名前を神様に言いましょう。そして、参拝に来れた事のお礼を言います。その上でお願い事をします。
平成の大遷宮が終わるまでは、以上が参拝の順路となります。

 出雲大社には西十九社と東十九社があります。下のお写真は西十九社です。
十九社は、神在月に全国の神様が出雲大社に集まります、その時に神様が宿泊される場所です。簡単に言うと神様専用のホテル・旅館といったところでしょうか(笑)
十九社は本殿を挟むように両側にあります。



次に出雲大社境内から西側へ出たところに「神楽殿」があります。
御仮殿の注連縄も大きいのですが、神楽殿の注連縄はさらに大きいです。この神楽殿は昭和56年に造営され、神楽殿にかけられている注連縄は重さ5トンもある注連縄です。



ところで、この出雲大社の神楽殿にかかる注連縄ですが、その真下に行って見上げると!? なんと硬貨が刺さっているんです。下のお写真でわかるでしょうか?



ところどころに、黒い粒のように写っているのが10円玉です。
これは注連縄にお金が刺さると願いが叶うといったお話があるようです...。
しかしこれはまったくのデマらしいです。近くにいた巫女さんに尋ねたところ、もともとは観光客が面白半分に始めたのが、今となっては願が叶うという話になっていったとかで、注連縄が傷んでしまうので困っているそうです。
ワタクシも横で見ていましたが、お金が刺さるまで何度も投げている人もいましたし、うまく刺さらなかったお金が、他の人に当たってかなり迷惑な様子でした。
神様にも失礼ですので、注連縄にお金を投げる行為は慎みましょう。


出雲大社の見どころ

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